今更ながら
ギターを初めてみた。
もともと不器用なんで、全然できないけど頑張ってやってみようと思う。
音楽を聞くだけでなくプレイしてみたいという気持ちはあったんだけどなかなか手が出せずにいた。
死ぬときに後悔するのも何なんでとりあえずやってみよう。
通ってきた音楽ってやつ
メタルやハードコアを通っていないやつは信用できない!
とは僕の古い友人の言葉だ。
聞いた当初は、何またおかしなこと言ってんだこいつ? くらいの感想しかなかったけど、よくよく考えると、なかなかどうして分からないでもないのも事実。
そもそも僕らの様な人種は、多感な時期にクラスで流行っていたような、イケイケのアガる曲に背を向けて、ポップのポの字もないような、ヘッドホンの中の世界に浸っていたのだ。
自己肯定感に乏しい我々にとってはそういった音楽を聞くことによって、普通の人にはわからないコアな音楽を聞く自分カッケー!
という、劣等感からくるマウンティングで自我を保っていたのだった。
そりゃ同じ境遇の人がいたら親近感が湧くよねって話。
まあ、友人がそこまで考えて発言したわけじゃないとは思うけどね。
セザでした。
こだわりってやつ
こだわりというものが人それぞれにあると思う。
僕の場合はファッションにおいてすごく多い。
例えば半袖のシャツを着ないだとか、そもそも半袖一枚にならないだとか
どんなに暑くても重ね着をするだとかだ。
なんでそんな風になったのか聞かれると答えに窮するところではあるけれど、
恐らくコンプレックスを隠すためなんだと思う。
「こだわる」という言葉には一般的に言う物事を追求するという意味の他にも、
「小さなことを必要以上に気にする」「難癖をつける」
といった意味もあるらしい。
至って主観的な話ではあるけれど、自分自身に難癖をつけている状態がファッションにこだわるということの本質なのかもしれないな、なんてことを思った。
老いるということ
11月に入ってだんだん寒くなってきた。
子供の頃よりも寒さに弱くなっているなぁ、と常々思うし、小さな傷も治りが遅くなってきた。
認めたくないけれど、ほっといても人間日々老いていくんだよな。
30超えてくると、新しいことに挑戦するのになかなかの労力を要するようになる。
10代の頃は呼吸をするようにしていたことが、どんどん億劫になっていく。
新しいものを受け入れられなくなった時に本当の老いが始まるんだろうなと思う。
音楽でも、文学でもサブカルでも、自分自身の意思で多くのことを知り、新たなもの、未知のものへの偏見をなくしていきたいと思うアラサーの夜。
セザでした。
ファッションってやつ
ちょうど大学に入るくらいのとき、エディ・スリマンがDior Hommeのデザイナーをやってた。
ロックにどハマりしてた僕は必然的にそのファッションにハマることになった。
当時のドメブラは海外の焼き直しのように見えて全く魅力的に見えなかったから、インポートブランドばかりを購入していた。
別にお金があったわけじゃなくて、バイト代のすべてを洋服に費やしていただけだった。
ファッションにお金をかけるなんてくだらないと言う人もいるけど、人それぞれだよね。
僕のファッションの根底にはロック、特にUKロックが根付いている。
ここ最近はファストファッションだったり、ノームコアだったりが取り沙汰されて正直つまらないし、普通でいいんだって言う風潮が気に食わない。
僕はバックボーンのあるファッションが好きだし、流行り廃りで服装を変えるよりよっぽどカッコイイなと思うよ。
セザでした。
劣等感ってやつ
僕は楽器とか全くセンスないし、バンド活動とかしたことないけど音楽を聴くのが好きだ。
でも実は中学生くらいまでは全く音楽も興味なかった。
中学生くらいになると自分の小遣いで初めてのCD買ったりするじゃん?
御多分に漏れず僕も流行に乗っていろんなもの聞いてみたりしたけど、ほんとに聞きたいもんなんてなくて話し合わせたりしてたなぁとか思い出す。
そんな折、友達に洋楽かぶれがいて、NIRVANAとかRADIOHEADとか聞かされてから音楽に、というかロックに傾倒した。
別にキラキラしてなくてもいいんだな、って思ったもんだ。
当時はメロコアや青春パンクなんかが流行ってたけど、クラスのイケてるグループが聞くような音楽だと思ってたから、そんなものに目もくれず、ダウナーな音楽を好んで聞くようになった。
僕のようなナードなタイプにはそんな劣等感が心地よかった。
中高の多感な時期に
No Surprises- Radiohead (Subtitulada)
こんなもんばっかり聞いてたら、そら偏屈になるよな。
いまでもこの曲は自分の葬式に流したい曲NO.1の座に輝いている。
セザでした。
脇役ってやつ
基本的に僕は消極的な人間で、捻くれているので社会とうまく折り合いをつけて生きてきた。
別にこいつとは上辺の関係でもいいかなと思って、いい人ぶってるなぁ、と思うこともしばしばだ。
でも30代になって初めてコミュニティの重要性をすごく感じている。
これから生きていく上で趣味や仕事でつながる人々との関係を維持して行かなくては将来は非常に孤独になるんだろうな、と思うと言いようのない不安に襲われる。
結局僕が、人当たりよくしていたのは孤独に陥りたくないという一心なのかもしれない。
特技も特にないし、すごい才能があるわけじゃないけど、ファッションが好きだったり、音楽が好きだったり、その文化的背景を知ることが好きだ。
それが講じて若い頃はアパレルの販売員なんてのもやっていた。
人のライフスタイルに寄り添えることが好きだった。
僕の言葉や行動で何か変化が起きることが嬉しかったんだ。
主役になるよりワトソンのような脇役でいたい。
チラシの裏的な散文を今後も続けていこうと思う。
文章を書くことで孤独を紛らわして、ついでに何かしら読んでくれる人に影響があったら嬉しい。
セザでした。